カティンを観て

映画を1人で観に行ったとき、観終わった後に
「この気持ちを誰かと分かち合いたい!」と思うことはよくある。
観終わった後に喫茶店でコーヒーなんぞ飲みながら感想を言い合えたらなあ、とちょっと寂しく感じたり。
でも、今回はめずらしく逆だった。「1人で観てよかった!」と。何だかとても満ち足りていた。


映画は「カティンの森」。アンジェイ・ワイダ監督の作品だ。
本編が終わると、一瞬画面が暗く落ちたままになり、その後しばらくしてエンドロールが始まる。この最後の暗闇の中で、私の中にはじんわりと、喜怒哀楽のどれともつかないような感情が広がった。その強い感覚が忘れられない。
映画館を出ると、外はみぞれまじりの雨と曇天。ほのかな靄。神保町ならではの喧噪。映画も、その後の気持ちを受け止める街の雰囲気も、今日は何もかもよくできているなあとひっそり感心した。たまたま1人でいたことも。


映画は、ショッキングな歴史的事実も、その事実との距離感も、難解な事実を難解とは感じさせないシナリオも、まああまねく良かったんだけれども、一番はやはりその「美しさ」だ。
登場人物の生き方がもれなく美しいのももちろん、落ち着きある画面構成や光の具合も申し分なし。お涙ちょうだいでも、告発ものでもない、ドキュメンタリーとフィクションの間。監督は、自身が幼いころ、将校だった父をこの事件で殺された記憶を作品のテーマとして抱え続けていたというが、84歳になって創られたからこそこのような美しい作品になったのだと、映画を観てつくづくそう思う。


たくさんの登場人物の中に、戦後、ソ連支配下ポーランドで対称的に生きる姉妹が登場する。「ポーランド人捕虜を虐殺したのはソ連」という歴史的事実に目をつぶって生きていこうとする姉と、兄の死に報いるため自分の思いに正直に振る舞い、それが政府に危険な言動としてマークされてしまう妹。そのやりとりが印象的だった。


姉「蜂起の教訓は活かされていないのね。世界は何も変えられない」
妹「姉さんは新世界に居場所を見つけた。私は旧世界にどっぷり。私は兄さんといることを選ぶわ」
姉「病的ね」
妹「犠牲者の傍らにいたいの。殺害者の側ではなく」


すべてが「ちょうどいい」。そんな映画に出会うこともあるから、やっぱり映画館に行かねば。
「向こうの世界」とあなどれない。彼らは私(たち)を動かす力をいつも放ってくれている。いざ。